2019年3月4日月曜日

Wikipedia調で「ヤスシコーチ」

こんにちは
ヤスシコーチです。
今回はハイテンションイベント話ではなく自分のプロフィールをWikipedia調で作りました。
よければご覧あそばせください。

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ヤスシコーチ
苗字 フジシロ(ふじしろ)
ニックネーム ふじ、ふじしろさん、やっさん。
キャッチフレーズ 謎のサラリーマン
生年月日 1974年2月
出身地 千葉県船橋市
血液型 A型
身長  174cm
体重  63kg
最終学歴 八千代松陰高等学校
出身  スクールJCA 1期生
事務所  無所属
活動時期 1992年-
同期  アンジャッシュ児嶋一哉
過去の代表番組 タモリ倶楽部
公式サイト ヤスシコーチ(https://2246844.blogspot.jp/)

ヤスシコーチ(ヤスシコーチ)は、芸人、日本の路地案内人、ファシリテーター、俳優である。ドンツキ協会・理事。

目次  [非表示]
1 略歴・人物
2 出演
2.1 テレビ
2.2 新聞
2.3 舞台
3 外部リンク

略歴・人物
・小学生時代は「耳デカ!」といじめられていたがクラスでひょうきんな人気者のマネをすることで普通になり「将来はもっと人気が出たい!」と芸人の弟子になることを夢見ていた。
・中学時代はサッカー部から友人の多いテニス部に転入しようとしたが担任のクラス目標が「継続は力なり!」ということで転入出来なかった。それでも未練があったので部活終わりの着替えはテニス部の部室で行っていた。
・高校は語学留学が出来ると言うことで決めたが一緒に行った日本人とほぼつるんでいたので勉強にならなかった。今も英語は喋れない。
・高校時代は落語部に所属していた。部員に生徒会長がいたことから「おれは陰の生徒会長だ!」と周りに言っていた。
・高校卒業後しばらくは浪人を考え勉強していたが気づくと裸になりベッドで飛び跳ねていたので「これ以上勉強すると危ない!」と挫折した。
・お笑い芸人になりたいことを母親に相談し某有名寄席芸人の弟子を紹介してもらったが面接当日新宿駅の西口に出てしまい会う約束の場所東口のじゅらくへたどり着かず弟子を断られた。
・新聞広告でお笑いスクールJCAを見かけ応募、持ちネタは無かったが人数が少なかったことと18歳と若かったので1期生として入学出来た。
・当初はピンで警察コントをしていたがスクール内でコンビを結成し養成所の最寄駅から東高円ズという名でバカバカしいコントをしていた。
・コンビ解散後スクールJCAを2年で卒業し吉本興業の銀座7丁目劇場でお笑い虎の穴TOKYOに出ていた。
・野村介石(柏崎コミュニティ放送のアナウンサー)とサンサンサイクルを結成し山梨放送ラジオ「二丁目天国 ジャッシーの逆襲(1995年から1998年の2年半、毎週土曜夜22時から3時間OAされていたローカルバラエティ)」でレギュラーとなる。
・事務所をホリプロへ移しトリオコント反心DAN技(成相裕一郎、レオちゃん)を結成。ラーメンズに「おもしろいですね」と言われたことがある。
・1998年から芸人活動を引退し一般のサラリーマンとなる。
・2011年12月13日、墨田区で行っていたアートプロジェクト「墨東まち見世2011参画企画」でちらっとでもこのまちでやりたいことを集めるブレインストーミング会議を主催し参加した齋藤佳(会長)、木村吉見(理事)とドンツキ協会を理事として立ち上げる。
・2014年3月14日、立ち上げ時の目標の一つであったタモリ倶楽部へ出演。ロケの日は東京が記録的な大雪に見舞われスタジオ収録のみ。ドンツキ協会公式ソングである「どんつきゴロゴロ(どんぐりコロコロ)」を熱唱する。他2曲の替え歌を歌ったかがタモリさんの評価が低くカットされた。番組終了後タモリさんだけに握手を求めたことを他の芸能人さんに失礼だったと後悔している。
・2014年3月16日、今後の活動報告をしようということになったが普通にやったら面白く無いということで当時ニュースで多く取り上げられていた「謝罪会見」という形式で記者会見場を設ける。終始「タモリ倶楽部に出演し、調子に乗ってすいませんでした。」と謝りながら行われた。
・2015年12月20日、一人芝居「民宿やひろ」。11:00~,14:00~,17:00~の3回公演。会場であるオルタナティブスペースyahiro 8を民宿に見立てて店主を演じる。通し稽古はほぼせずカンペを持ちながら行った。
・2017年2月24日から3日間@仲町の家 『知らない路地の映画祭』で「ドンツキクエストin北千住」が上映された。音楽家の岡野勇仁監督が北千住でのドンツキクエスト(一般参加者を含めた行き止まりツアー)をドキュメンタリー短編映画として制作。映画内の挿入歌はドンツキ協会齋藤会長がベース、木村理事がボーカル、ヤスシコーチが作詞/ボーカルで参加している。
・プロジェクト『39アートin向島2017』の一企画として2017年3月中に大人限定でプロジェクト来場者、関係者へ身銭を切って110円を配る。「企画はやはりみんなが喜ぶこと!」という単純な発想から行われ総勢100人以上にぽち袋で手渡した。
・2017年9月24日、近所のふじのき公園で素人であるヤスシコーチがロックを歌うというフジシロックを行う。こちらはフジシロという苗字からの発想である。まったく弾けないギターを抱えTHE BLUE HEARTSの名曲『情熱の薔薇』を滑り台の上で熱唱する。
・2017年11月11日(ドンツキ協会公認『直進ドンツキの日』)、ドンツキ協会立ち上げ時の目標の一つであった協会員全員での京都遠征。京都府京都市上京区のアニュアルギャラリー周辺でクエストをし夜にはドンツキ妄想会議を行う。
・2018年1月、20年程続いた一般のサラリーマン生活を辞めて謎のサラリーマンとしてメディア・舞台の仕事を探し出す。募集中。
・2018年2月8日、ブログの更新に間が開いてしまったことと激しく動きたいということでYouTubeへダンスを公開する。
・2018年3月23日、普通のワカテライヴ!54@新宿Fu-。20年ぶりにプロのお笑い芸人と同じ舞台に立つ。かなり反響はあったが出演2回で休止宣言をする。
・2019年3月2日、ドンツキ調査の記録、公開方法を考える会議「始動!ドンツキマップ製作委員会 むこうじま純情派」。同時にドンカレーやドンハイのお披露目も行われた。

出演
テレビ
・タモリ倶楽部(テレビ朝日)(2014年3月14日)- 「潜入!ドンツキ協会 行き止まりの宝庫 向島でドン詰まろう」
・TOKYOディープ!(BS-i)(2016年1月4日)- 「気持ちいいお節介 向島」
・あさイチ(NHK)(2017年9月7日)
・ワケあり!レッドゾーン(よみうりテレビ)(2018年7月1日)

新聞
・すみだ経済新聞(2012年3月16日)
・朝日新聞(朝刊)(2013年11月5日)
・毎日新聞(くらしナビ ライフスタイル)(2017年1月11日)
・読売新聞(夕刊)
・新潟日報(2018年5月26日)

舞台
・一人芝居「民宿やひろ」@yahiro 8
・普通のワカテライヴ!54@新宿Fu-
・普通のワカテライヴ!55@新宿Fu-

外部リンク
レオちゃん
ドンツキ協会
39アートin向島
あさイチ
YouTube「拝啓、皆様 ヤスシは元気です。」
毎日新聞(くらしナビ ライフスタイル)
ワケあり!レッドゾーン
株式会社オガラボ

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